洋紙発祥の地(王子製紙跡) 北区王子1-4-1
王子の紙の歴史は、明治の元勲・井上馨大蔵大臣補佐の大蔵大丞・渋沢栄一が渡欧の後、「製紙、印刷事業は文明の源泉」として、江戸期からの豪商・三井、小野、島田の3組に製紙事業の必要を説き賛同を得たことから始まった。
スタートした洋紙の国産化を目指す事業は彼らを中心に進み、1872年11月「抄紙会社」として三野村利助・古村市兵衛らの連名で大蔵省紙幣寮に願いで、翌年の1873年2月12日許可となった。
当時、第一国立銀行頭取であった渋沢栄一を社長に要請、出資金15万円を目指して開業準備、英国人技術者の採用、指導のもと工場建設に着手した。
王子が会社用地として選定されたのには、①工場用水として水が清く豊富 ②原料・製品の運搬等水運の便が良い ③木造パルプの開発前の紙すきにはボロが用いられていたので原料調達には都市周辺が必須 等々の条件を満たし、さらに、維新間際の世情騒然とした中で、観光事業や農業の先細りを考えた一部の地元有力者が工場誘致の働きかけるなどが相まって「王子は洋紙発祥の地」となった。
碑の台座には、「紙の歴史」の中の羊皮紙にちなみ、羊のデザインが選ばれ、大理石造、碑文は巻取紙を表してブロンズに陽刻。
裏面は王子製紙の歴史が記され、「抄紙会社」が「製紙会社」に改称されたのは、贋造防止のためとして大蔵省抄紙局が官営工場を隣地で営業開始し社名変更を求められたもの、さらに会社は変遷を続け、戦後、十条製紙㈱となって記念碑の建造を見た。
王子製紙の歴史
明治 6年 抄紙会社、大蔵省の許可
明治 8年 開業式、洋紙産業の幕開け
明治 9年 製紙会社に改称
明治26年 王子製紙㈱に改称
昭和 8年 富士・樺太工業と3社合併
昭和20年 戦災に依り王子工場休止
昭和24年 占領政策により苫小牧・十条・本州の3社に分割
昭和28年 十条製紙㈱により、工場創立80周年事業として記念碑建立
補足 碑文
此地ハ明治5年11月渋沢栄一ノ発議ニ由リ創立シタル王子製紙株式会社ガ英国ヨリ機械ヲ輸入シ洋紙業ヲ起セシ地ナリ 当時此会社ハ資本金15万円ヲ以テ発足シ同9年畏クモ明治天皇英照皇太后昭憲皇太后ノ臨幸ヲ仰ギ奉リ東京新名所トシテ一般ノ縦覧スル所トナレリ 同社ハ昭和24年8月苫小牧製紙十条製紙本州製紙ノ3社ニ分割スルニ至ルマデ名実共ニ日本製紙界ノ中心タリキ 茲ニ80年ノ歴史ヲ記念シテ永ク洋紙業発展ノ一里塚トセン
昭和28年10月
藤原銀次郎 撰文
高島菊次郎 篆額
近藤高美 書
碑陰(石碑の背面)主要記事
明治5年11月 三井組小野組島田組等ニヨリ資本金拾5万円ヲ以テ創立
明治6年2月 紙幣寮ノ認可ヲ得抄紙会社ト命名
明治9年5月 製紙会社ト改称
明治26年11月 王子製紙株式会社ト改称
昭和8年5月 王子富士樺太工業三社合弁
昭和24年8月 王子製紙分割苫小牧十条本州三社発足
歴代首脳者
(省略)
昭和28年10月建
十条製紙株式会社社長 西 濟