音無もみじ緑地
音無もみじ緑地

滝野川橋→松橋弁天洞窟跡(音無もみじ緑地公園)

滝野川橋の前身は明治期の軍用鉄道橋で西高橋と呼ばれていた。滝野川橋の少し下流に見える寺が金剛寺である。その崖下に松橋弁天洞窟があった。これは岩屋弁天とか滝野川弁天とも呼ばれていた。弘法大師の作と伝わる弁財天像と頼朝奉納の太刀はすでに失われている。「新編武蔵風土記稿」に、源頼朝太刀奉納説があると記されている。治承4年(1180)、安房で挙兵した頼朝は隅田宿に進出、長江の渡しを渡って、現在の上野から飛鳥山に続く台地の麓に上陸、滝野川松橋で軍を整え武蔵国府に入り鎌倉に向かっている。「源平盛衰記」では滝野川松橋と「義経記」では王子板橋と記述があり、「松橋」なのか「板橋」なのかで、よく論争になる。

 

昭和50年(1975)前後に石神井川の護岸工事が始まり、現在は「音無もみじ緑地公園」として区民に親しまれている。