野口研究所

 

 

 (財)野口研究所は、昭和16年(1941年)に旧日窒コンツェルンの創業者野口遵(のぐちしたがう)氏が私財を投げ打って設立した研究所で化学工業の発展に寄与する基礎的研究と人材育成を目的としています。

 

 現在は糖質(例:ぶどう糖、果糖、麦芽糖、乳糖、オリゴ糖)とこれらの多くがつながった糖類の解析、複合糖鎖の生成、機能解明と応用研究及び触媒化学の研究を行っておりこの分野では国内有数の研究機関です。

 

 創業者野口遵氏(1873~1944年)は、一介の旧加賀藩士の子として金沢に生まれました。明治26年(1893年)東京大学電気工学科を卒業後、実業界に入り日本初の硫安・合成アンモニアの生産に成功した日本窒素肥料㈱を中心に昭和12年(1937年)には、日本・朝鮮に26社の電気化学工業の企業をもつ、日窒コンツェルンを作り上げました。

 

 現在地は、旧東京第二陸軍造兵廠板橋工場で火薬類の研究・開発が行われていた所ですが、昭和21年(1946年)払い下げを受けて以来、この地に移転、研究活動を続けています。火薬関係の研究とは全く無関係ですが、構内には旧陸軍関連設備で放置・腐朽しているものもいくつかあります。

 

野口研究所内に現存する弾道検査管(内径686mmコンクリート製)
野口研究所内に現存する弾道検査管(内径686mmコンクリート製)
戦前、この一帯にあった板橋火薬製造所内を通る電気軌道(トロッコ)の線路敷跡
戦前、この一帯にあった板橋火薬製造所内を通る電気軌道(トロッコ)の線路敷跡