下頭橋と六蔵祠

 

  下頭橋は始めは丸木二、三本をならべた程度の橋で、出水時には水難事故が頻発し危険な場所であったが、寛政年間(1789-1800)ごろ、ここに江戸周辺で最初の石橋が架けられている。

 

 この橋を下頭橋とよぶ由来としては、乞食六蔵伝説が有名であるが、もうひとつは川越藩主の出府・下向に際し、藩主がこの橋で出迎えや見送りをし、頭を下げたことから言われるようになったという説もある。

 

 乞食六蔵伝説というのはこんな話である。

 

 寛政の頃、石神井川に架かる丸木橋のたもとに、名前も生国も不明な年老いた乞食が住み着き、終日土下座して旅人から喜捨を受けていた。彼は土地の人から六蔵と呼ばれ親しまれていたが、やがて亡くなり、旅僧によって手厚く葬られた。ところが、埋葬に際し死者の懐中から永年貰いためた大金が現れたので、僧はこの金を使って丸木橋を石橋に架け替え、旅人の便をはかった。村人たちは永年、頭を下げていたその老乞食六蔵の徳をたたえて、橋の名を下頭橋と命名し、橋のたもとに祠堂を建て、六蔵を菩薩とあがめてその霊をまつった。

 

 現在、橋のたもとにはこの六蔵祠と六蔵の遺徳をたたえ、その冥福を祈るため寛政十年(1798)二月に作られた「他力善根供養」と刻まれた供養塔一基が建っている。

 

下頭橋は明治三十七年(1904)の道路改修の時に木橋となり、大正十三年(1924)頃ふたたび石橋となったが、昭和三年に鉄筋コンクリート造りの橋となり現在にいたっている。 なお、戦前まで橋の近くに大きな榎が生い茂り「逆さ榎」とよばれ、幹の空洞に白蛇が住むと恐れられていた。