東京第二陸軍造兵廠跡
板橋火薬製造所は、陸軍省により旧加賀藩下屋敷跡地約3万坪に建設され、明治9年(1876年)、陸軍砲兵本廠板橋属廠として操業を開始しました。その後、明治12年に東京砲兵工廠板橋火薬製造所と改称され、より高性能の火薬製造を行いました。設備、敷地も拡充され、明治27年には、敷地は約15万坪になりました。
昭和15年(1940年)には、東京第二陸軍造兵廠板橋製造所(通称二造)となり、最盛期には7千人をこえる労働者を擁する一大軍事工場となりました。
ここ板橋は、軍関連工場をベースに、重化学工業の一大拠点として発展することになります。まさしく火薬製造所の発展は、軍国日本の隆盛と軌を一にしたものでした。
敗戦後、かつて第二造兵廠に勤務していた人の中には、習得した技術で町工場を起こす人も少なからずいました。特に戦時中、造兵廠の下請けで軍に納めた双眼鏡用レンズ研磨からはじまるといわれているカメラ工業・光学機器工業は一時全国製造の7割を占めたこともあります。